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大野地球科学研究会は化石やお天気または星が好きな仲間が造った同好会です。

SINCE:  2001年1月1日

UPDATE: 2016年10月8日


3−6 盆 地 の 下 に は 恐 竜 化 石 が ざ く ざ く ?

恐竜時代が終わって後、日本にとっての大事件と言えば、今から3000万年から2400万年前頃に、アジア大陸の東の端が裂けるような形で日本海ができ始めたことでしょう。

このためアジア大陸の東で堆積し、恐竜などの化石を含んだ地層が現在の日本列島の位置まで移動してきました。

古手取湖は現在の手取湖付近にあったのではなく、アジア大陸の縁に広がっていたと考えるほうが実態をよく表しているでしょう。

さて、日本海の誕生と同時進行して、2300万年から1500万年前に、日本列島はかなり激しい火山活動があったことがわかっています。

長期間にわたる火山活動の結果、恐竜化石などを含んだ手取層は広範囲にわたって溶岩に覆われてしまいました。

この火山活動で降り積もった溶岩を総称して面谷流紋岩といい、九頭竜川の河原でよくみられます。少し風化したものは表面に平行の筋が幾つも浮き出ており、 それが流れの跡のようにみえることからこの名がつきました。

この時代から大野盆地を取り巻く山々ができた2000万年前までのくわしい様子はあまりわかっていません。

しかしこの時代には火山の噴火や、気候の激しい変動がありました。恐竜の繁栄していたおだやかな時代と比べると、生き物にとって大変な時代だったようです。

激しい火山噴火の証拠にグリーンタフと呼ばれる薄緑色をした凝灰岩の地層があります。これはあちこちで噴火した火山灰が降り積もって固まり、岩石になったものです。 福井で石材として使われる笏谷石(しゃくだにいし)はグリーンタフと呼ばれるものの一つです。

このような火山に由来する岩石が、恐竜時代に堆積した手取層の上にどんどん積もっていきました。

経ケ岳の中腹には、熱と圧力のために少し変質していますが、手取層の堆積岩であるケツ岩が一部露出しています。経ケ岳の噴火による溶岩が手取層の堆積岩の上に乗っている証拠です。

また打波川を上流に向かうと経ケ岳の方向に谷が幾つか開けています。これらは経ケ岳、または願教寺山の噴火に由来する火山岩で覆われています。しかし手取層と思われる堆積岩が 一部で露出していて、化石が採集できる場所もあります

これらの岩壁全面がしじみの仲間の化石です。拡大してみると次の通りです。

また、打波川上流の別の谷でも、巨大なリップルマーク(波の化石)が見つかっています。中央の岩壁は畳10畳程度ですが、全面にリップルマークがついています。 また、その所々に貝の化石が見られます。

さらに手取層は美山町の一部でも露出して、は虫類の化石が発見されています。

このような事実を総合すると、大野盆地の地下深くには手取層が延々と横たわっていて、恐竜を頂点とするさまざまな生き物の化石などがたくさん埋まっていると考えられます。

赤い部分が現在の手取層。手取層は、美山町の一部にまで顔を出しているので、元々の手取層は、黒線の内側に広く分布していたかもしれません。すると、大野盆地の地下は、 手取層が横たわっているということになります。

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