本文へスキップ

大野地球科学研究会は化石やお天気または星が好きな仲間が造った同好会です。

SINCE:  2001年1月1日

UPDATE: 2016年10月8日


1−5 今 な ら 大 災 害 と な る 火 砕 泥 流

おそらく経が岳の噴火により流れ出た溶岩は、それほど多くはなかったでしょう。しかし、巨大岩塊を伴った火砕泥流は、一気に大野盆地へ流れ下り、 その勢いは、相当のものであったことがわかっています。現在の地形から、当時の状況がわかるでしょうか。

下のCG図は、大野盆地の西の縁約4000m付近から、経ケ岳を見下ろしたものです。高さを強調するため、垂直方向の距離は、 約3.5倍に引き延ばしてあります。

中央の高尾山の左右に、なにやらどろどろしたものが流れたような痕跡が認められないでしょうか。

実は、これが火砕泥流の跡なのです。

経ケ岳の火口から高尾山の間は泥流で埋め尽くされ、現在の六呂師高原となりました。この地形が現在六呂師スキー場として利用されています。

高尾山でせきとめられた泥流は塚原方面に向きを変えて流れ下っていきました。富田小学校と尚徳中学校の高度差のある部分や井ノ口の坂あたりを通り越し、 塚原野よりももっと西にまで達したと思われます。

泥流は少なくとも二回は流れており、その堆積面の差は森本・八町と伏石の標高差に明瞭に現れています。中の出−御給間に位置していたであろう末端部分は 盆地内を流れる川の浸食作用を受けて削り取られたと思われます。

国道158号線を勝原方面に向かうと、井口あたりで、突然20メートル近く高くなり、また、平坦な道が続く。これが、経ケ岳の泥流の先端部分の名残です。 井口付近から、勝原方面を望んだ写真が次のものです。


傾斜のある部分は、田畑にはならないため、たいてい、林になっている。


井口からもう少し西よりの田圃の中から撮影したもの。溶岩の先端が台地状になっているのがよくわかる。

因みに、大野市街地から六呂師に向けて走ると、右手に、尚徳中学校が見えますが、なだらかに続く台地の上に建っているように見えます。最初のCG図でも おわかりのとおり、道は、泥流の縁のすぐ横を通っているためです。

以下の写真は、九頭竜川が泥流を浸食した有様を写しています。

戻る 目次 進む
このページの先頭へ