1−6 三 千 年 に 一 度 の 大 地 震
大野盆地の地層を調べると、東西に銀杏峰(宝慶寺)断層・南北に佐開断層でたち切られています。
このことから大規模な陥没が現在の大野盆地形成の引き金になったことは容易に想像がつきます。陥没が起きたときには、大きな地震も起きたことでしょう。
この陥没の結果、大野盆地の地形は東になだらかで西に急なのです。
日本のような雨が多く、植物の繁茂の盛んな気候では、地層面がはっきりと大きく露出しているポイントはほとんどありません。そのため、学術的に断層が
確認されている場所でも、素人目には、断層を確認することができません。試しに、以下のように銀杏峰断層の写真を撮ってみましたが、はっきりしませんね。
そのため、ここではコンピューターグラフィックスにより、断層地形を様々な角度から眺めた図を作成しました。
佐開側上空から俯瞰したCG図のAは約800m、Bは約200mです。
さて、断層ができる前には、このAとBは同じ標高であったと仮定します。
一回の大地震で約2mの地層のずれがあったと仮定すると、600mの標高差ができるためには、300回の大地震が起きる必要があります。
銀杏峰断層の活動が始まったのが、今から約100万年前であったとすると、100万年の間に300回の大地震を経験することになります。
「300回も」と感じられる方は多いかと思いますが、100万年の間に300回というのは、3300年に一回の勘定です。
佐開断層の調査結果から、この大野にも大地震が、9000年前、4500年前、1500年前に起きたことがわかっています。約3000年に 一回の勘定です。
一番最近の1500年前でさえ、6世紀ぐらいの話ですので、こういう観点からも、地質時代の長さというのは、私たちの想像を
絶する長さであることがわかります。