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大野地球科学研究会は化石やお天気または星が好きな仲間が造った同好会です。

SINCE:  2001年1月1日

UPDATE: 2016年11月7日


 第7章 豪雪がもたらした人間心理   林 治彦・前田裕一


この章では、先に林治彦氏が「豪雪がもたらした人間心理」という観点からこの豪雪をじっくり考えていただいたことを主にして、 我々会員が集まって「奥越人と雪」というタイトルで56豪雪について話し合いを行った。その結果を討論会形式でまとめたものである。

         司 会  前田裕一
         出席者  林 治彦  川田信行   清水 悟
              村田守男  長谷川俊基  脇本正則

司会:
 本日は皆様がそれぞれテーマをもって報告書を作成してきた中で、この豪雪が私たちにもたらしたものは何であるか、また、いろんな被害が出ているわけですが、 その被害の背景にあるものは何か、そしてさらには私達雪国に住む人間性とか、雪国に住む人間としての提言等を考えていただきたいと考えております。
 まず、豪雪豪雪と騒がれたわけではありますが、過去昭和38年にも豪雪がありましたし私たちの記憶には無いにしても、それ以前にも豪雪はあったわけでしょう。 で、豪雪豪雪と騒がれたこの時代背景も少し考えてみる必要があると思います。どうでしょう?

林:
 そうですね。雪は日本人にとって冬の到来をはっきり知らせる事前の使者であり心の中に何かしら沈痛なおももちを持たせるものがあると思います。
 北陸、いや日本海側の人々にとって長い冬の寒さは、この白い世界に太平洋側の人々よりも数倍も強い冬のイメージを与え続けてきたのではないでしょうか。
 現在の日本は世界の経済大国となり、地球人の経済活動のリーダーシップをとる人の集団となりました。 数十億人が住むこの地球の経済生活は我々一億三千余万の日本人の活動に少なからず左右されていると思います。
 昭和30年代後半より始まった高度成長の波は日本全国をかけ巡り、テレビ、ラジオの爆発的広がりと浸透がコミュニケーションの拡大を助長しましたし、 日本人の文化生活の向上を図ってきました。また、国家的規模の公共投資が高度成長の基盤として、ダム建設、道路整備、港湾整備、新幹線の建設、空港の建設等々に活用され、 日本は従来の姿を全く変えて生まれ変わってしまったと言っても過言ではないと思います。
 特に自動車の生活への浸透と影響は著しいものがあると思います。その為に道路はそのほとんどが舗装され、快適に、そして速く、確実に人や物を運ぶように整備されました。
 この奥越に住む我々の生活も大きく変わり、世界の情勢は家に居ながらにして掴むことができ、流行も食べ物も教育も国勢も、ほぼ確実に知ることができるようになったわけです。 遠くへ行きたいと思えばマイカーで他県へ、どこでも行くことが出来、マスコミによる情報が全くそのまま体験できるようになり、その真実性を信じて疑わないようになった。 このようにして車と道とマスコミによる生活の基盤が成り立つようになったと思います。その大翼を担ったのは石油ですけど・・・。
 こういった時代背景の中で今回の豪雪を考えてみると雪国というか、大野という土地環境を再認識しなくてはならないかと思います。

村田:
 たしかに、私も同感です。世の中すべて、とまではいかなくても、ほとんど私たちの生活は過去の高度成長によって、いわゆる雪国であることを忘れて都会的な生活をしているように思います。 また、ビジネスも雪の降らない地方に合わせてきていますし、合わせざるをえない環境になっていると思います。その結果、今回のような豪雪になると、 雪が降るからと言って甘えることもできず世の中全体のテンポに合わそうとするために道路の大規模な除雪をやらなくてはいけないわけですからね。

司会:
 しかし、今後も世の中の動きに合わせていかなくてはならないわけですから、こうなると雪に対するいろんな対策を世の中の動きに合わせて作り替えていかなくてはならない、 ということになりますが、どうでしょう?。

川田:
 確かにそうあるべきだとは思います。そうなると町づくりも根本的に見直さなければなりませんし、非常に難しいと思います。
 道路の幅ひとつをとってみても旧市街地は昔のままですし、新しくできた町も同じ程度の道路幅しかありませんし、 特に新しくできた住宅地などでも雪のことは無視して道路幅は非常に狭いと思います。 雪国と言っても雪になやまされるのは2~3ヵ月ですからそのために道路幅を広くするということになるとどうなるかなあ・・・。とにかくその辺は行政も少しは考えてほしいよ。

司会:
 行政がでてきたところで、今回の豪雪について行政面の対応についてはどうでしたか?

川田:
 ひとくちに言って後手後手に回ったように思います。と言うのも急激に多量の雪が降ったため、と言ってしまえばそれまでですが、役所に冬期間はあらかじめ降雪対策本部を設置して、 そこをトップに行動するというようなシステムにでもなっておれば今回のような雑多な除雪作業にはならなかったと思います。
 まあ、しかし、役所のトップ周辺に雑多な情報が市民の方から入ってきて、どこからどう手をつけたら良いかもわからなかったのではないかと察せられます。 まあ、リーダーシップの欠如とシステムの欠如ではないですか。

清水:
 そうも言えますけど私達を含めた市民の方も自分の家を守るだけでせいいっぱいだったたし、行政に対して何ら協力的なところがなかったのではないかと思います。 だから、それを全部役所などへ責任転嫁がするのはどうかと思います。
 個人意識が先に立っている世の中、私達雪国に住む人間として、その辺の意識向上をしなくてはならないと思います。いくら科学が進歩し、 機械力があると言っても自然界の雪は降る時には下に住んでいる人間様のことなどは考えずにジャンジャン降るんですからね。やはり官民一体となって対処しないといけないと思います。

脇本:
 私もそう思いますが特に私は雪国に住む人間としてあらゆる面でマナーの欠如を訴えたい。と言うのは、路上駐車などは除雪の妨害になるわけですし、 そう遠くないところでも自家用車で出かけるという今の日本人、いや福井県人の癖が冬期間の積雪時期もそのままであるために交通渋滞をおこしているわけです。
 また、屋根の雪を道路に降ろしっぱなしにするなど、いろいろあると思います。

林:
 そうですよ。車を買うときにも車庫証明をとっていますが、車庫があるのならそんなにも路上駐車があるわけがないでしょうが・・・。 あの車庫証明も大都会の駐車禁止の取締りという雪の降らない都会的発想だけのものですから、こんなところにも弊害が出てきていると思います。 この制度をもっと強化するか改善する必要があるのではないかと思います。
 また、車も格好よさを追求しているために車高を低くしていますしね。春になってFFや四輪駆動の車が売れていることを聞くと少しは考えるようになったのではないかなあ・・・。

司会:
 車の問題については非常に車が増えたことも原因でしょう。参考までに表を作ってありますのでどうぞ。では雪国のマナーが全然無かったのでしょうか?
 登録車輌台数(原付を除く全ての車両) 各年3月31日現在
   昭和55年  昭和45年 昭和38年
 福井  95417  38293  14097
 大野  18629  9223  1974
 敦賀  23261  10385  2448
村田:
 全然無いとは言えないと思います。最初(第一寒波)はマナーもあったものじゃなかったかと思います。 しかし少なくとも台に寒波(1月3日以後)以後は雪にも慣れてきて次第にマナーが作られてきたように思います。ですからこのころから歩きの人が目立ったし、車もお互いにゆずりあいましたし、 地域ぐるみの除雪もありました。

清水:
 除雪について役所の怒鳴り込んだ人もあるって聞いたけど・・・。自分のことだけしか考えないマナーの悪さを暴露しているみたいですね。 もっとも除雪する方も前もってどの程度降ったらどこを中心に除雪するとか、どこの除雪はいつになるとか、 行政の対策本部ももっと市民に理解を求めるようなアピールをしなかったのもあるのではないかと思います。こんなことは公表すべきではないですが、 それによって理解してもらえる方法をとってほしいですね。

司会:
 マナーについてはいろいろと例をあげるときりがないみたいですのでこのへんにして、マナーと同時に我々雪国に住む人間の生活の知恵というか、 そのへんは生かされていたのかどうかについて考えていただきたいと思います。

長谷川:
 これは先ほど林さんが言われたように、日本の経済情勢の変化によって都会的なものに変化していると思います。 例えば、屋根雪の降ろしにくい家の作りになっている家屋が多くみられます。小さい屋根がいっぱいある家なんかそうですし、 軒のつくりを特別に丈夫にしていなかったりするのも格好のよさや経済的な事ばかり追求しているからだと思います。

川田:
 高田(上越市)の雁木なんかを見習ったらどうかなあ。

長谷川:
 市街地では食料の備蓄もあまりしていないように思います。 秋野菜の白菜、大根、イモ類等、やはり備蓄しておくほうがよいのではないでしょうか。また最近はつけものやもち等もたくさんつけておく人が少なくなってきているのではないかと思います。 豪雪になっても昔とはちがってめったに食料品がとだえるということはないでしょうけど。高いものを買わなければならないでしょうで。

村田:
 知恵と言えば波板やスノッパーでの除雪なんかも除雪の知恵だと思います。もっとも昔ながらの大きいバンパでの屋根雪降しの方が屋根を痛めませんし、 思い通りの場所へ投げ降ろせますが、スピードが違いますからね。また、足ぼそや長靴のゴム付やナップザックが売れたと聞いていますが、雪国ならではと思います。

林:
 ところで、ちょっと話はそれるけど、子供達にとっては雪は冬の唯一の遊び道具になるのに子供たちが遊んでいるのを見たことがないのは残念に思っているんですよ。 私達の子供のころは、雪で閉ざされた自然の中にあって解放された気分にしてくれたのは白銀色の雪景色だったと思います。その雪の中で、一日中いろんな遊びをしたもんですよ。 考えてみると雪の中での遊びとは子供達にとって自然のきびしさと美しさを膚で感じさせる絶好の季節なのに、今の親というか世の中は、そうさせていないみたいだと思います。 たくましい人間形成のためにも雪の中で遊べる人間を育ててほしいなあ・・・。

司会:
 こう話してまいりますと、雪と闘っているという感じがします。皆様も大変だったでしょう。

川田:
 家が心配なもんで、福井から大野の家まで帰ったんだけど、車で6時間かかって本当に心配でした。

村田:
 一日中屋根雪降しで仕事にはならなかった。それが何日も続いて、一時はどうなるかと思いました。

脇本:
 豪雪や積雪の研究、観察を!! という緊急連絡を受けたけれど、正直それどころではなかった日が続いたよ。

清水:
 仕事に勝山までリュックサックをかついで歩いて行って、仕事といったら屋根雪降し、帰りも歩いて大野まで帰る。こんどは休む暇もなし、家の雪降し。本当に大変でした。

司会:
 話をしていますときりがありませんので、どうでしょう今後の課題といいますか提案というものを話していただきましょう。

林:
 まず、雪国に住んでいることを再認識する事が問題解決の第一歩だと思います。そして行政も雪国特有の地方行政を考え直してほしいと思います。

村田:
 除雪する道路の順番の公表や雪を流雪溝に流すのに地域ごとのルールを作ったらと思います。また、官民一体となった連係プレーのできるような体制をとってほしいと思います。

長谷川:
 食料の備蓄等、雪国に住む人間として生活の知恵を十二分に活用することも必要だと思います。又、核家族化のためだと思いますが、 雪囲い等の冬への備えの技術が正しく後世に引継がれていないように思います。やはり、後世に伝えておかなければならないものがたくさんあると思いますし、 若い人はそれを十二分に受け入れる心がけが大切だと思います。

川田:
 自衛隊がやってきて除排雪をやってくれたけれど、少しそれに頼りすぎていた感じがしないでもない。地方自治体がもっと準備すべきだし、 民間の借り上げもスムーズに考える必要があると思います。

清水:
 豪雪豪雪と騒いではいましたが、小さなゴタゴタはいっぱいあったと思いますがなんとか克服したのでそんなにひどくはならなかったのではないかと思います。 春になって解けてしまったら信じられないもんね。しかしまあ、もうちょっと何とかならないもんかなあ・・・。すなおに雪を受け入れる余裕を持てばたいしたことはないと思うんだけど。

脇本:
 豪雪のお陰で皆歩け歩けであったから道で古い友や親せきの人に会って、あちらこちらで挨拶をかわす風情の大野人の心の温かさはこの雪深い里の雪から生まれたものではないかと感じました。

司会:
 冬になれば私たちの生活や世の中の経済とは関係無しに多かれ少なかれ雪が降り、春になれば自然と雪は消えてしまいます。そのくり返しの中で私達雪国の生活が営まれているわけです。 それを十二分に認識して、対応もし、受け入れる心をもって力強く生きていきたいと思います。ここに林さんからいただいた話をご紹介してこの会を閉じたいと思います。 ありがとうございました。

   四季の繰り返しは 日本人の心に有る
   春は 芽ふき もえ生ずる時
   沈黙のカラを突き破り 生まれ出ずる時
   夏は その暑さに うんざりしながらも
   カンカンと照らす太陽の光に 自らも発奮し
   秋は 紅葉の美しさに うっとりとしながら
   枯葉をまき上げ 突進する
   冬は 寒さの中でガンバリ シンシンと降る
   雪の中でも「何くそ!」が頭の中をよぎる
                        林 治彦

              <編集後記>

          豪雪の記録と研究・観察をしようと連絡をとり合ったのが1月3日。
         実際はそれどころでなかったというのが実感であった。それぞれに
         テーマを決めて取り組みかけたのが1月17日ころだった。各地で豪雪の
         いろんな話題が出、その後雪が解けるにつれ活動範囲を広げてゆくと
         いろんなおもしろい課題が出てきて簡単にはまとめられなくなってきた。
         そして雪が解けてしまってからも観察が続けられた。
          8月の会議で9月末までにまとめようと話し合ったが、作業が思う
         ようにはかどらず、とうとう11月に次の初雪を見てしまった。そうして
         ようやく書き上げたら12月になってしまった。
          考えてみると少ない資料で多方面にわたって書きたいという欲がたたって
         遅くもなったし、決して良いものに出来上がったとは思っていない。
         ただこれをステップにしたいと願っている。
          また、これが少しでも社会に役立ってくれれば幸せだと思っている。



                         56豪雪 その記録と明日への課題
                             発行日 昭和56年12月12日
                             発行所 大野地球科学研究会

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