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大野地球科学研究会は化石やお天気または星が好きな仲間が造った同好会です。

SINCE:  2001年1月1日

UPDATE: 2016年10月8日


3−4 お 尻 の 下 の 恐 竜 化 石

恐竜化石は、現在では日本各地からでるようになりました。

しかし、全国の「化石少年、化石博士」に水を差すようで申し訳ないのですが、素人が恐竜化石を見つけることはかなり困難です。

植物にしろ動物にしろ、かなりの条件がそろわないと、化石にはなりません。

化石になるための最大の条件は、やはり、生きていた個体数が多いことです。

恐竜は食物連鎖の最上部にいましたから、植物や貝の仲間に比べると、その個体数も極端に少なかったはずです。

私たち大野地球科学研究会でも、30年近く活動して、化石採集も何度も行きましたが、恐竜化石として認定を受けたのは、イグアノドンの足跡化石一つだけです。

たまたま、化石採集に出かけ、お昼休みに休憩のため座った大きな石の裏側にくっついていました。

これ以来、いくら探しても恐竜化石は見つかっていません。(^_^;)

ついでに、この場を借りて、私たちの「大発見を逃した」エピソードを二つほど披露いたします。

化石の大発見というのは、かなり偶然の要素が大きいです。つまり、「偶然の女神」がほほえんでくれなければ、場数を踏んでもなかなか「大発見」ができないのです。 こんなことを書くと、せっかく恐竜化石を発見してやろうというみなさんの意気込みに水を差すことになりますが、それがこの世界の実態です。考えようによっては、 このような厳しい現実を乗り越えた者のみが、「恐竜化石発見」という栄誉を手にできるのでしょうね。

さて、大野郡和泉村には、伊月という場所に有名な化石壁があります。ここには、以前から植物や貝の化石がふんだんに採集できましたが、近年、巨大な肉食恐竜の足跡が見つかりました。

この伊月の化石壁の表面は非常にもろく、ちょっと多めに雨が降ったりすると、岩肌がはがれて落下するという危険な場所です。件の恐竜の足跡が見つかった数日前、かなりの降雨があり、 例によってあちこちで岩がはがれて落ちていました。そのはがれ落ちた岩肌の一つに、足跡化石がくっきりとついていたのです。

そして、実はこの降雨の3日ほど前、私たち大野地球科学研究会のメーバーの一人が、この化石壁を訪れていました。もう一週間も遅くここを訪れていたならば、 発見の名誉を担うことができたのに・・・。惜しかったです。!!!

白いペンキが塗布されているところが、足跡化石の発見された場所。


直下から見上げた画像。ところどころに岩が突き出ているが、ここにもリップルマークや化石がたくさん入っている。

さて、もう一つ。

和泉村の別の場所での話です。石徹白川のある地点の対岸に大きな露頭があります。ここは、残念ながら、川を突っ切るしか露頭に到達できる方法がありません。私たちの会員が二人、 この露頭を訪れたところ、カラーボックスほどもある大きな石の表面になにやら妙な模様がたくさんついているのを見つけました。もって帰ろうにもあまりに重く、別の機会に何人か 助っ人を連れてくることにして、その場は手ぶらで帰りました。

一ヶ月ほどして、大勢でその現場を訪れてみると、その石がありません。川の増水で下流へ流れたものと考えていたところ、しばらくして、福井県立博物館より大変な知らせが 舞い込みました。日本最古の鳥類の足跡化石が、その現場から見つかったというのです。現物を見せてもらうと、なんとそれは、私たちが見つけていた石そのものだったのです。

実は、私たちが発見したすぐあとに、岐阜県からきたあるグループが件の石を見つけ、何人かで抱えて川を渡り、福井県立博物館に持ち込んだとのことでした。 その岐阜県のグループでさえも、石の重さには往生したけど、喜びもひとしおとのことでした。こんな大発見になるのだったら、もっと早く、その現場に行っていたのにと当時は 悔しいことしきりでした。


手前の川が石徹白川。写真では小川のようだが、実際には15mほどはある。 石の上部に写っているのが30cmものさしだから、かなり大きな岩の塊である。表面に点々とついているのが、鳥の足跡。

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