時の流れに(第1話) 昭和57年5月1日
昨日流星を見た。それは素晴らしい大火球であった。 その光が目に飛び込んできた時、思わずあーと 叫んでしまった。
時は昭和57年3月21日、午前1時前後、天候快晴。天頂付近から光り出したそれは瞬く間に光をまして南の空に向かい、
スモッグのような雲に吸い込まれてゆっくりと消えた。この束の間の出来事は多分1〜2秒の間だっただろうが。
まるでスローモーションを見ているように長く感じられた。そういえば昔、
流星観測をやったころも発光時間を計るのに苦労した思い出がある。このように、
人間が感じる時の流れなんて実にいい加減なのである。我々研究会の研究対象は時間との関わりが深い。
深いというより時間そのものという感じがする。この化石は何億年前のものだとか、数千万年の進化がこうだとか、
この星は何万光年先にあるなどと言っている。時の流れというものを理解しようと努力しているのではないだろうか。
人間にしかわからないかもしれない時の流れというものについて、これまでに思い巡らしてきたことを次回からお話ししていきたい。
時の流れに(第2話) 昭和57年11月7日
夜空を見上げると無数の星が輝いている。その時ふと思うことがある。なぜ夜空は暗いのだろう。
当たり前だと言ってしまえばそれまでだ。しかし、明快な答えはと聞かれると困ってしまう。
昔、オルバースと言う大変暇な人がいて、この問題について真剣に考えたそうだ。彼は、この宇宙が無限の広がりを持ち、
星が一様に分布していると仮定すると、夜空が真昼より明るくなってしまうことに気がついた。これでは現実と矛盾する。
これをオルバースのパラドックスと呼んでいるが、この矛盾に対し、全ての星々は互いに遠ざかりつつあれば夜空は暗くなるという仮説が出された。
これを実際に観測したところ、全ての星々は地球より遠ざかっているということが確認され、
宇宙のビッグバン説が導かれたそうである。このように常識として当然と思っている事象に対しても、
なぜだろうという疑問を持つことが大切であることがわかる。
次回に、この宇宙のビッグバンについて疑問に思ったことが 少々あるのでお話ししたい。
時の流れに(第3話) 昭和59年7月14日
りんごが木から落ちる。エレベーターに乗ると気分が悪くなる。人工衛星が地球を回る。ハレー彗星がまた戻ってくる。
これらは皆、万有引力の仕業である。普段は何とも気に留めていないこの不思議な力も、もしなくなってしまったら人は生きていけない。
すべてのものを地球の中心へと引き付けるこの力はどこからくるのだろう。力は質量と加速度の積で表される。
地球上では重力加速度を感じることができる。エレベーターに乗って上昇すると、もっと大きな加速度を感じることができる。
この時ふと思う。仮に地球のすべてがある加速度で膨らんでいたらと。人も大地も空も海も同じ加速度で膨張していたら、
全く膨張しているとは意識できない。何か不思議な力で地球に惹きつけられているとしか感じられないだろう。
昔の人々が大地は止まって天が回っているのだと感じたように、感覚だけでは正しい判断ができないことがある。
これはあくまで空想の話だが、こんなことを考えてみると日常の生活の中に待てよと思うことが数多くある。
時の流れに(第4話) 昭和59年12月10日
小学校の頃、掃除の時間によく遊んだことがある。バケツの水を雑巾でぐるぐる回すのである。面白いことに、
水面が中心部からだんだんへこんでくる。早く回せば回すほど、へこみが大きくなる。なんだ、そんなことかと思うかもしれない。
でも、いざ明確に説明しようとするとなかなか難しい。わかりやすく小学生に説明しろと言われても言葉に詰まる。
多分、遠心力という言葉を使うだろう。しかし、この遠心力というものが曲者で、分かっているようでわかっていない。
仮に、バケツの中の水の上に大昔から住んでいる人がいたとしよう。この人から見れば、周りのものが回りだしたら
突然自分の住んでいる水面が凹み出したとしか思えない。この人には、周囲が回ることと水面がへこむことの関連がわからない。
この人が少し賢ければ、次のように考えるかもしれない。周囲と水との間には引力が働いている。それで、周囲が回りだすと
バケツの中の水がそれらに引きずられて外側へ移動するため水面にへこみができるのだと。周囲から見ている限り、
その人に満足な説明をすることはできないだろう。これとよく似たことが他にもある。コマである。コマが回るとなぜ
倒れなくなるかを小学生にわかりやすく説明できる人はいませんか? こんなことを考えると、
いかに自分が無知であるかを思い知らされる。我々は、遠心力と前回お話しした重力が作用する地球の表面にへばりついて生きているのである。